Apr 02, 2009
データ復旧の準備を事前に
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生命保険会社や損害保険会社から受け取った販売手数料など法人所得約1億3000万円を申告せず、法人税3850万円を脱税したとして、東京国税局が、「興和開発」(東京都豊島区)と「ファイナンシャルアライアンス」(港区)の保険代理店2社と、興和開発の佐藤邦夫社長(50)を法人税法違反の疑いで東京地検に告発したことが14日、わかった。
ファイナンシャル社は、保険の販売資格を持つ個人事業主ら約600人と業務委託契約を結んで全国展開し、生損保数十社の商品を販売。興和開発も一時、生損保約10社の商品を販売していたが、今年に入ってからは保険販売業務を行っていないという。佐藤社長は、ファイナンシャル社の副社長だったが、昨年6月に辞任している。
関係者によると、佐藤社長は2社を使い、09年12月期までの3年間に、取引先の生損保から得た販売手数料などの法人所得約1億3000万円を隠し、法人税3850万円を脱税した疑いが持たれている。
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市は、市立病院の建物が大破したほか、中心部にある病院や診療所の多くが津波で浸水した。石巻保健所によると、震災から3か月が経過した今も、管内にある42か所の診療所が事実上の休止状態にあるという。こうした中、海から程近い石巻港湾病院(135床)は、8月上旬の完全復旧に向けて準備を進めている。「いつまでも引きずっていられない」―。同僚2人を津波で亡くし、失意の底にありながらも、職員たちは懸命の努力を続けている。
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震災発生から間もない3月下旬、石巻港湾病院の入り口付近には、ヘドロまみれになった医療用品が積み重なっていた。受付や薬局などのあった1階部分が浸水し、そこにあった備品のほとんどが使い物にならなくなったからだ。検査機器も損壊したため、当面の間、外来診療は休止せざるを得なくなった。
それから2か月半余り―。あの医療用品の山は、駐車場と駐輪場に姿を変えていた。病院に向かう道をふさいでいた漁船も撤去されている。
「病院としては、通常モードに戻りつつあります」。同病院でマネージングディレクターを務める間山文博さんはこう話す。震災直後、職員の約3割は避難所で暮らし、自宅が損壊した20人は院内で寝泊まりしていたが、今では、そのほとんどが仮設住宅やアパートで生活しているという。
同病院は4月11日、2階の病棟(48床)を閉鎖し、1階の代替スペースを確保することで外来診療を再開していた。これまで病室だった部屋を改造し、外来受付や薬局のほか、患者からの相談を受け付ける「医療相談室」も設置。現在は内科と整形外科で診療を行っている。レントゲン機器はポータブルのものだが、「普通に紹介を受けている」と間山さんは胸を張る。
■病院経営に重くのし掛かる「風評被害」
完全復旧に向け、同病院は順調に歩んでいるかに見えるが、実際は「風評被害」に苦しんでいる。「震災のあった石巻には…」と、患者の家族が入院をためらうケースが相次いでいるからだ。病院の周辺には、津波で大破した車が横たわるなど、震災の爪跡が今も残っている。「療養環境が酷過ぎる…」と間山さんは嘆く。
一方、同病院が進めている1階部分の修繕工事(総工費およそ4億円)について、国からの補助金は一切ないという。
今年度の第1次補正予算で計上された災害復旧費補助金(約36億円)は、公立病院か2次救急を担っている民間病院が主な対象。このため、CT(コンピューター断層撮影装置)やMRI(磁気共鳴画像診断装置)などの医療機器についても、それ以外の民間病院に対する財政支援はないのが現状だ。間山さんは、「費用はグループ全体で背負うことになります。困った時はお互いさまですから」と淡々と語った。
震災発生から3か月―。職員の顔に疲労の色がにじんでいる。「本心を言えば、みんな心に傷を負って疲れている。そろそろ慰労会をやろうと思っているんです」と間山さん。同病院は今、心を一つにして8月の完全復旧を目指している。
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◇交渉舞台裏の貴重な史料
「日米和親条約の締結で横浜に来航のペリー米艦隊をカステラ、刺し身でもてなした」。こんな珍しい記述の日記が横浜市内の民家で見つかった。寄託を受けた横浜開港資料館(横浜市中区)は「条約交渉の舞台裏の貴重な史料」と7月24日まで開催中の開館30周年記念展に展示した。【網谷利一郎】
日記は日本側の全権委員を務めた林大学頭(はやしだいがくのかみ)の従者、竹田鼎(かなえ)が、和紙に筆書きしたもの。竹田家の縁者にあたる中嶋宏子さん(70)=同市港北区=が4月、自宅にあった日記を寄託した。
西川武臣・同館主任調査研究員が解読したところ、ペリー艦隊は1854年に来航。浦賀ではなく、横浜村をペリーが要求したため、林らは小舟で会見場に向かった。会談後のもてなしの給仕役を竹田が命じられた。
宴席では「カステラ、上落雁(らくがん)、酒、刺し身」が提供された。竹田が箸の使い方を教えたが、うまく食べることができなかった。辛口の酒よりみりんを好み、甘い食べ物を好んだ。竹田の煙管(きせる)でたばこに挑戦した乗組員もいたという。
日記には「ペルリ」との記述も出てくる。日米和親条約の締結で日本は開国に向かったが、その交渉現場が現在の同館で、その当時から茂っていた玉ぐすの大樹が今も残る。
10日来館した中嶋さんは「竹田家系の夫の大叔母が所持していた。10年ほど研究家らに調べてもらったが、祖先の功績が分かったのがうれしい」と喜ぶ。
西川さんは「ペリーと林が何を話したかは出ていないが、舞台裏の苦労、双方の友好的な雰囲気がよく出ている貴重な史料」と評価した。
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